ドイツの和食事情、今と昔
つい最近、FACEBOOKでヨーロッパ在住の方の書き込みを読みました。
彼女はイタリアに住む方ですが、15年前には和食の店や食品店が無かったと書いていらっしゃいました。
その時は何にも思わなかったのですが、いろいろ思い出して見ると、あった!
40年ほど前に一年近く、ミラノで暮らしたことがあります。
ミラノ中央駅の側に、確か、遠藤かENDOだったかな、そういう名前の和食のお店がありました。
きちんとしたレストランで、おかみさんと何度かお話したことを覚えています。
「ミラノに住んでいる日本人は多いですよ。2-3年なんて短い、短い。大概の方が20年以上ですよ。」
その当時、ミラノに住んでいた日本人とは一切コンタクトはありませんでしたから、彼らが企業から来ているのか、何をしている人なのかは分かりません。
でも20年という月日を考えてみると、仕事を終えてもミラノに残った方が多かったのかもしれません。
私は当時、街中のDUOMOから3-4駅離れたところに住んでいました。
一部屋の狭いアパートですが、天井がすごく高くって、今ならイケアの家具を使って2階部分にベッドを置けたのにな、なんて考えてしまいます。

dootdorin / Pixabay
そのアパートのすぐ側に日本食品店がありました。
アルバイトのお姉さんはオペラの勉強に来ていると教えてくれましたが、いつも楽しそうな雰囲気をまとっている人でした。
よっぽど印象が強かったのか、顔は覚えていないのに彼女の声は今も思い出せます。
私がその店の隣にあったコインランドリーで困った時に、お姉さんに助けを求めたこともあります。
当時のイタリアは英語が通じにくいところでした。
FACEBOOKの彼女が15年前には和食の店がなかったという事は、何処か地方にいらしたのでしょうか?
40年前にミラノに和食の店があったという事はローマにも絶対あったでしょうね。
そのミラノのENDOも、何時からあったのかは知りませんが。
数年前に、次男を連れてフィレンツェに行った帰りにミラノに寄りましたが、時間があまりなくて、前に住んでいたアパートへはいけませんでした。
でも、母も連れて行った事のあるDUOMOに一緒に行き、若かりし日、いつもコーヒーを飲んでいたカフェに座って次男と思い出話をして、楽しい時間を過ごしました。
私がその後、ドイツに来た時には、北ドイツのこの街には和食の店がすでに何件かあり、日本食品店もありました。
スーパーにもKIKKOMANがありました。
日本の植民地と揶揄されるデュッセルドルフほどの日本人の数ではありませんでしたが、その2/3ほどの数の日本人が住んでいました。
いくら和食のお店があるといっても、ただ悲しいかな、学生の身。和食をそうそう食べに行くなんてことはできません。
日本の食材も、めったに買えません。
今でこそ、私はお料理のブログを書いていますが、その頃はまだうら若き乙女でしたから?お料理の仕方もわからず、日本から持ってきた料理の本を見ながら時間をかけて一品、一品作っていたのを思い出します。
今ではインターネットのお蔭で、色々な情報が入ってきますから、海外にいてもそれほど困る事は無いでしょう。
ここ30年ほどは、アジア食品店がふえて和食を作るのも楽になりました。
インターネットでアジア食品をオーダーする事も出来ます。
こちらにいらっしゃる日本人の方。
和食しか食べられない人でもなんとかなりますよ。
ご心配なく。